休職中の刑事、本間俊介は遠縁の男性に頼まれて彼の婚約者、関根彰子の行方を捜すことになった。自らの意思で失踪、しかも徹底的に足取りを消して――なぜ彰子はそこまでして自分の存在を消さねばならなかったのか? いったい彼女は何者なのか? 謎を解く鍵は、カード社会の犠牲ともいうべき自己破産者の凄惨な人生に隠されていた。山本周五郎賞に輝いたミステリー史に残る傑作。
「BOOK」データベースより
第6回山本周五郎賞を受賞した本書。
1992年に発売されたということで時代的な古さはありますが、元号が令和になっても色あせることのない魅力が本書にはあります。
ここまで徹底的に人物の背景を丁寧に描き、犯罪を個人のせいだけにしない懐の深さを持つ作品を僕は知りません。
この記事では、本書のあらすじや個人的な感想を書いています。
核心部のネタバレは避けますが、未読の方はご注意ください。
タイトルの意味
内容に入る前に、タイトルの意味について説明します。
作中、『拾玉集(しゅうぎょくしゅう)』という歌集から『火車の、今日は我が門を、遣り過ぎて、哀れ何処へ、巡りゆくらむ』という和歌が登場し、それが本書の土台にあります。
ここにある『火車』とは妖怪のことなんですが、実は『火車』と『火の車』では別の妖怪を意味します。
前者は猫の妖怪、後者は地獄の極卒が燃えたぎる炎に包まれた車を引いた妖怪のこと。
調べると前者の妖怪がタイトルであるとする記事が多くありましたが、本書中では『運命の車』とも表現していて、車を意味する後者がしっくりきます。
前者は死んだ者の亡骸を奪う妖怪ですが、後者は生きながら連れていくこともあり、後者であれば生きている罪人が逃れようと必死になるのも分かります。
なので僕は、後者の『火の車』がタイトルの意味になっていると推測します。
あらすじ
失踪
休職中の刑事・本間は遠縁の栗坂和也から失踪した婚約者・関根彰子を探してほしいと頼まれます。
失踪する寸前、過去に彰子は自己破産していたことが判明していて、本間は興味があって調べます。
刑事として調べるわけにはいきませんが、そこまで大事にはならないはず。
そう本間は高を括っていましたが、その予想は見事に外れました。
成りすまし
過去の職場や彰子の自己破産の手続きを行った弁護士から事情を聞く中で、本間は探している女性(和也の婚約者)が関根彰子ではないことを知ります。
女性は何らかの方法で彰子の戸籍を奪い、他人に成りすまして生きているのです。
本物の彰子は今どうしているのか。
そして和也の婚約者である偽物はどこに行ってしまったのか。
本間は二人の女性を追うことになります。
共通点
調べていくうちに、成りすました女性の用意周到さが分かってきます。
しかし、偶然にも本物と偽物には意外な共通点がありました。
そこにはクレジットカードが普及したばかりのカード社会の闇があり、本間は単なる犯罪でないことに気がついていきます。
犯行の裏に隠れていたのは、一人の女性の切なる願いでした。
感想
とにかく丁寧
本書には本当に多くの人物が登場します。
もちろんほんの数ページしか登場しない人も多くいますが、そういったチョイ役に至るまで宮部さんは丁寧に描いています。
ぽっと思いついたのではなく、しっかりそれぞれの人生があり、そうする必然性を感じさせてくれる説得力がありました。
登場人物の履歴書を全員分作るという湊かなえさんの時も感じましたが、この丁寧さがあるだけで作品の没入感が大きく変わります。
派手さはないのに、底が知れないワクワクや好奇心、恐怖が本書にはあります。
後半ほど目が離せない
序盤はここからどう展開するのかと半ば退屈しながら読んでいましたが、彰子が偽物だと分かってから一気に加速します。
しかもこの起爆剤のような展開も何重にも仕込まれていて、後半にいけばいくほど読むのを止められない自分がいました。
文庫本で六〇〇ページ弱とかなりのボリュームですが、その長さを感じさせないほど読ませる力が本書にはあります。
あと数十ページだけど、どう決着をつけるのだろう。
ラストは久しぶりに手に汗握りました。
犯人を見つけることが目的ではない
物語の終盤、彰子に成りすましている女性に辿り着き、対面します。
しかし、ここまで読んだ読者であれば分かると思いますが、彼女を逮捕することが本書の目的ではありません。
彼女が何を思い、何を願って犯行に至ったのか。
それを真剣に聞くことこそ、本間含めて今回の事件に関わった人たちが最も望んでいることです。
終わり方として決してスッキリするものではありませんが、ミステリとして新たな視点から答えを提示してくれる本書は、今でも読むべき名作だと断言します。
おわりに
本書はエンタメとしては終わらず、読者や現代に問題を提起するほどスケールの大きな物語です。
元号が令和になった今でもこの危険性は変わらず僕らの隣にあるわけで、読み終わった後もずしりと胸の奥に重みを残してくれる名作でした。
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